オンピーノ子供ピアノ教室 新井薬師前教室
私が始めて音楽に触れたのは、恐らく幼稚園にあがる前、おもちゃのテープレコーダーについていた何曲もの童謡たちでした。 それらを聴いていると心地よくて、貧るように聞いていた記憶があります。「青い瞳をしたお人形~」「赤とんぼ」などの哀愁にみちたメロディーが私の原点にあります。幼稚園に入るとうってかわってリズミカルなアンサンブルミュージックの日々でした。某音楽教室に入った私は、カスタネットやタンバリン、マスカラ、ギロ、コンガなど見たことも触ったこともない楽器たちに囲まれ、それらを叩いたり鳴らしたり、大勢の仲間たちと一緒にエレクトーンを弾いて歌ったり。発表会となればキラキラのドレスの衣装を身につけ市の文化会館を借り切ってする大がかりなものでした。「tactic」や「子象の行進」など大人でも胸が高鳴るような楽曲を、十数名用にアレンジし、ドラムや他の楽器を加えた壮大でタンサブルなものでした。先生も子供も 真剣そのもので子供だからといって妥協する演奏は決して許されませんでした。舞台上での興奮と感動、そして仲間たちと音楽を創りあげる喜びを幼稚園生で知ることになりました。その頃の私にとって音楽をしている時、演奏している時は、他の日常とは切り離されたキラキラした空間でした。この頃こういう音楽体験が出来たことは後の私の音楽人生を歩むうえで大きな力となり、礎になったことと思います。小学校二年生で私は近所の国立音大を卒業した女の先生にピアノを教わることになりましたが、初めのうちはおうちに遊びに行って、ピアノで歌を唄って楽しく帰ってくるといったものでした。そんな感じで遊んでいるうちにピアノを弾くことが楽しくなり、意識しないうちに「レッスン」を続けていました。高学年になると音大教授である児玉 邦夫先生の月1回のレッスンを受けるようになり、そのまま、中学、高校と自然と音大受験に向けてのレッスンの日々が続いていくこととなりました。高校生の中頃反発心のようなものから、進路を突如変更し、声楽科を目指しますが、2年連続で不合格となり、第2希望である音楽教育科に合格します。在学中は、現代ピアニストの渋谷淑子先生のもとでドビュッシーを勉強できたことは財産です。又、クラシックと並行して音楽デザイン科の友人と作った音源で詞と唄を担当し、「ルビーの指環」などのアレンジャーである井上 艦氏に評価いただけたことも光栄なことして思い出に残っています。 ゼミでは精神科医療における音楽療法を選択し、精神科医で音楽療法士である村井靖二先生のもと、精神科病棟などで研修を積んで参りました。卒業後は「いつか音楽の楽しさを人に伝えたい」という夢を胸に抱きながらも諸事情により叶えられず、ずっと温めておりました。今回このような機会を与えていただけたことに心から感謝しております。





